2016.9.6
命の絆No.47 アメリカ合衆国イリノイ州シカゴ市消防局 第3バタリオンチーフ
命の絆 消防ヘルメット
助けを求める声があるならば、いかに過酷な災害現場であっても身を投じていく消防士たち。時代や国境を超え、すべての消防人の心にある博愛の精神が、彼らを突き動かせる。隊という名の“家族”が、危険な現場で協力し合い“人命救助”という任務を成し遂げる。「消防ヘルメット」はそんな彼らの活動を支え、危険から身を守る盾となってくれる。現場には要救助者、仲間、そして己の命をつなぐ博愛の絆があり、その象徴が消防ヘルメットといえるであろう。
アメリカ合衆国 ペンシルベニア州 ニューキャッスル市消防・第2消防隊[ケアンズアンドブラザー社 FRP製#800センチュリー型ヘルメット]
シカゴは、アメリカ合衆国イリノイ州に位置し、ミシガン湖を臨む同州最大の都市であり、ニューヨーク、ロサンゼルスに次いでアメリカで3番目に人口の多い街である。
1871年10月8日に発生した「グレート・シカゴファイア」といわれる大火により街は廃墟となったが、被災後、木造住宅を禁止し、煉瓦、石造、鉄製の建築を奨励。建築家たちの市場として賑わい、ビル建築ラッシュが展開され、摩天楼都市の先駆けとなった。19 世紀後半から20 世紀半ばまで、鉄道・航空・海運の拠点として発展し、五大湖工業地帯の中心として躍進した都市でもある。
「グレート・シカゴファイア」が発生した当時、シカゴでは公的な消防機関とは別に、この大火の9日前から「シカゴ・ファイア・インシュアランス( 火災保険会社)」という企業によるファイア・パトロール隊が活動していた。ファイア・パトロール隊は、シカゴ市街を9カ所の管轄区域に分け、火災警戒の見回りを行い、火災が発生すればメガホンやラッパで市民に知らせるともに、火災保険加入の建物の消火にあたっていた。普段はスーツを着用しているが、火災出動の際には黒い防火コートにブーツ、赤色のヘルメットを装備して、消火活動と鎮火後のサルベージ作業を行っていたのである。
保険会社は、消防ポンプ車やはしご付消防車も保有して活動し、これらの車両は赤一色に塗装されていた。やがて1949 年、消火作業は公的機関が行うことになり、火災保険に関するパトロール活動は行っていたが、1959 年6 月、「シカゴ・ファイア・インシュアランス」はパトロール活動も幕を下ろす。シカゴ市消防局の車両は、現在も上半分が黒、下半分が赤に塗り分けられ、これは保険会社との相違を示していた時代の名残である。
今回は、このような経緯を持つシカゴ市消防局の第3 大隊長であるバタリオンチーフのアルミ合金製のヘルメットだ。第二次世界大戦中、それまで多用していた皮革製から大量に生産できるジュラルミンを使ったヘルメットが鍛造され、大都市消防用として供給された。これも時代の証しで、アメリカ消防装備史上のエポックといえる。ヘルメットは白塗りの帽体で、同じく白塗りのシールドには“ BATTALION CHIEF”と数字の“3”、シカゴ市消防局の頭文字“ CFD”を赤で描いており、頑丈さと力強い個性が感じられる。このヘルメットは1965 年頃まで使われた。当時のシカゴ市の人口は約350 万人。消防局では車両はポンプ車98 台、はしご車59台、救急車71 台、救助車4 台、危険物対応車2 台、消防艇1 隻を保有し、5,009 人の消防局員がこのヘルメットを装備して火災現場に駆け付けた。
災害現場という場所は何が起こるかわからない。突如、倒壊物が襲い掛かってきたり、足場が崩れて転落する可能性も大きいわけだ。頭部に大きなダメージが加われば命に関わる結果となり、脳に障害を与える危険もある。災害現場であれば頭を打って意識を失っている間に要救助者の生命は危険に曝され、隊員自身も更なる悲劇に見舞われないとも限らない。つまり、消防におけるヘルメットとは隊員はもとより、要救助者や仲間の命を結ぶ重要な存在であるといえる。ここでは世界の消防が使用する「消防ヘルメット」にスポットをあて、郷土を災害から守ってきた消防士たちの魂を伝えていく。
AUTUMN 2016/FIRE RESCUE EMS vol.75